ホ・オポノポノ ヒューレン博士 ジョー・ヴィターレ ハワイの秘法 船井幸雄 豊かに成功するホ・オポノポノ 体験談「母からの贈りもの」

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--:--  |  スポンサー広告  |  EDIT  |  ↑Top

2014'04.01 (Tue)

体験談「母からの贈りもの」

Love yourself and your soul will guide you.


 7月25日に角川フォレスタより発売予定となっています、新刊の『完全なる自愛メソッド』には、それぞれの立場から『自分を愛するプロセス』を語る11人のストーリーが掲載されています。

そのなかのひとつをここに紹介させていただきます。


鈴木達子母
お母さん


体験談3 「母からの贈りもの」              鈴木 達子


 わたしは、警察官だった父、社交的な母、3つ年上の姉という家族の次女として生まれました。
 母は、女性が早く結婚するのが幸せと言われた時代に、お菓子やパンで有名な「新宿中村屋」に13年間勤め、中村屋の初代女性主任という役職に就いた伝説の女性です。
 「中村屋」名物の月併の売上を数倍に伸ばしたことは母の自慢のひとつで、誇らしげに当時の様子を語る母の姿は、今もわたしの脳裏に焼き付いています。
 社交上手でよく喋り、バイタリティーの塊。民生委員、子供会会長、PTA役員と地域の世話役。人から相談を受けることもしばしば・・・。『結婚しなければ一生バリバリ仕事をしていたかった』『婦人警官になりたかった』というのが母の口癖でした。
 正義感が強く、『お母さんにこう言われた』と近所の人から言われたり、『お母さんは出すぎだ!』と学校の先生から注意されたり、こどもながら心を痛めたことも一度や二度ではありません。
 
 父は、わたしが中学1年のときに心筋梗塞で倒れ、その後10年もの間、入退院を繰り返すという長い闘病生活の末、亡くなりました。
 ですから家計をずっと支えていたのは母でした。
 それだけではありません。みなさんは高額医療請求というものをご存じでしょうか。
 高額な医療費を支払ったときに、払い戻しが受けられる国の健康保険の制度のことです。
 母は、高度医療請求による払い戻し制度を知らなかったのか、父の数回にわたる心筋梗塞のバイパス手術やICU(集中治療室)の入院費用など、数百万円の医療費を全額自己負担で支払っていたのです。
 
 わたしが中学にあがるまでは何ひとつ不自由なく、暮らしていた毎日・・・。
 それが、父が心筋梗塞で倒れてからは、生活が一変してしまったのです。
 
 母は、お金が一番かかる時期のわたしと姉を食べさせていくために、昼夜問わず必死の思いで働き、結局のところ、73歳まで現役で働き続けたのです。
 わたしは、家計が火の車になっていたことをずっと知りませんでした。
 
 18才のときにその事実を知り、『うちはとてつもなく貧乏だ』と初めて気づいたのです。
 父が生命保険に入っていなかったこと、団体信用生命保険(住宅ローンの返済途中で死亡した場合に生命保険でローンの残債を肩代わりする保険)に入っておらず、家のローンが残ってしまったこと、高額医療請求をしていなかったこと、母がネットワークビジネスに携わり、知人や親戚にお金を借りていること・・・、すべてはお金を管理している母の責任だと思い、母を罵り、母を責め立てました。
 『今月もお金が足りない』と嘆く母の姿を見て、なぜ生命保険に入っていなかったのか?なぜ団信生命に入っていなかったのか?なぜ身内にお金を借りてしまったのか?もっと他に方法があったのではないか・・・と母を責めたのです。
 母は母で、情緒不安定で感情を爆発させるわたしに対して、『わたしの若い頃と全然違う』『わたしの娘なのにどうして?』『なぜ仕事が長続きしないの?』とわたしを責めます。
 
 こうして仲の良かった家族はバラバラになり、喧嘩が耐えない家族になってしまいました。
 わたしはお金のことで母を責め、母は弱いわたしにプレッシャーをかける・・・。母との関係は最悪でした。ついには、わたしは母に強い憎しみを抱くようになってしまったのです。
 
 一方借金は、年々膨れ上がり、遂に母はサラ金からもお金を借りるようになってしまいました。
 度重なる借金取り立ての電話、それがエスカレートし、わたしの勤務先まで電話がかかってくるようになりました。  『今から会社に行くぞ!』と脅しの電話・・・。電気・ガス・水道が停まるのは当たり前・・・。
 毎日が不安だったわたしは、とうとう自律神経失調症になってしまいます。
 
 23歳のときに父が亡くなったのがわたしの転機となりました。
 そのとき始めて『母と歪みあっていてはいけない』『わたしが母を助けなければいけない』と心に強く誓い、きちんと就職をすることにしたのです。
 それは母をずっと責め立てて来たことへの償いの気持ちだったのかもしれません。
 
 それからというもの、ひたすら毎日毎日働きました。
 ホテルでのフロント業務、工場でのライン作業、夜間の医療事務、広告代理店の営業、わたしが最も不向きなお酒をつぐコンパニオン・・・。仕事を選ばず時給が良ければどんな仕事でもやりました。
 朝は9時から夕方18時半、夜勤は22時から朝8時までと、昼夜のダブルワークは10数年続き、月のお休みは3日しか取りません。アルバイトですが年収が400万円を越えたことが何度もありました。とにかくひたすらひたすら働き続けたのです。
 でも、どんなに働いても働いても、お金は借金の支払いと生活費に消えてしまいます。
 友人とも会えず、自分の欲しい物も買えず、美容室にも行けない、ときには交番にお金を借りるような、惨めな10数年を過ごしました。
 
 そんな惨めな生活のなか、29歳のとき、わたしに一筋の光が差したのです。
 『マッサージ』という天職に出会ったのです。
 
 『人から喜ばれ感謝をされるお仕事』
 
 今まで感じたことのない、やりがいを感じ、わたしはいつの日か独立開業を夢見るようになったのです。
 借金はまだたくさんありましたが、『希望』を持ち、昼間はマッサージ、夜はコンビニエンスストア、お休みの日は専門学校と、勉強と仕事に貪欲に励みました。
 
 2010年、そんなわたしに、人生のなかで最もショックな出来事が起きるのです。
 
 母に乳癌が見つかったのです。
 癌は既にステージ3の状況でした。そして、2012年の2月には脳に転移していることがわかり、余命1年の宣告を受けたのです。
 
 仕事と介護で心身とも疲れ果て、ボロボロの状態のなかで、奇跡的にfacebookで繋がり、出会ったのが河合先生でした。
 河合先生の『愛』のある一言をきっかけにわたしの人生が大きく変わったのです。
 それは『もう頑張らなくていいんだよ』という一言でした。
 張り詰めていた心の糸がプチっと切れ、わたしは優しく大きく包み込んでくださる河合先生の前で、たくさんたくさん涙を流しました。
 『たっちゃんはもう自分の人生を歩いていいんだよ』
 わたしは河合先生の『愛』に救われたのでした。
 
 それから約5ヶ月間、わたしは母のそばを1日も離れずに、介護、看病を続け、6月21日母を見送ったのです。74歳でした。
 わたしは母が亡くなる少し前の4月から『エグゼクティブセミナー』に通い、たくさんの気づきを得て、心がどんどん軽くなっていくのを感じました。そうでなかったら、母との別れがどれほど辛かったことでしょうか。
 
 母がわたしたち姉妹のために一生懸命働いてくれたこと、修学旅行以外は母と離れたことがなかったこと、誰よりも母を助けてあげたいと思っていたことを想い出したのです。
 そして、どんなに憎まれ口を言われても母のことが大好きだったこと、母はわたしのすべてだったことを・・・。
 
 亡くなってわかったことがありました。
 母は、愛する娘たちのために、どんなに生活が苦しくても、毎月3万円の生命保険の支払いを続けてくれていたのです。
 わたしは、母の遺産を元に、残りの200万円の借金を全額返済し、約15年に渡る借金返済生活にピリオドを打ちました。
 それは母が最後にくれた娘たちへの大きな贈り物でした。
 
 その後わたしは、『トレーナー養成セミナー』へと進み、「自分の人生はすべて自分が創造している」ことがわかりました。
 そしてわたしは、わたしのための新しい人生を創造し始め、15年間の穴を埋めるように『自分の好きなこと』だけを毎日やることにしたのです。
 それはエグゼクティブセミナーの教えでもある『楽しみなさい』『自分を大事にしなさい』ということに繋がり、わたしの心の状態が面白いように変化を遂げていったのでした。
 
 15年間ほぼ休むことなく続けてきた仕事を1週間休み、世界遺産を姉と観に行きました。週1回エステに通い、週末には料理教室に行きました。映画『プリティウーマン』のように好きな洋服を片っぱしから試着をして、好きなだけ洋服を買いました。10年近く会えなかった友達とランチバイキングに行きました。
 すべててわたしがやりたかったことです。
 
 こうしてわたしの心は本当に蘇りました。
 河合先生が言う『自分が本当に好きなことをやること』それが『幸せ』へと繋がる鍵だったのです。
 そして、一番実現したいと思っていたわたしの夢、アロママッサージサロン『ピュアボディー』をささやかですがオープンするに至りました。

 母から貰ったギフト、それはわたしに稼ぐという力です。
 母からの贈り物、それは一人になっても困らない生きる力と知恵です。

 お金の大切さが解るように。
 人の心の痛みがわかる人になるように。
 優しくて強い人間になれるように。
 出会ったすべての人を愛で包み込めるわたしになれるように。
 
 河合先生を始め、自愛塾の素敵な仲間たちはわたしの生涯の宝物です。本当に皆さんに感謝しています。
 わたしは今この瞬間に生き、わたしの望んだ通りの『完全で愛のある世界』で、輝かしい人生を歩んでいます。
 
 毎日通る駅から家までの帰り道。
 今日も青空を見上げると、母の明るい笑顔が浮かびます。
 
 『お母さん愛してるよ』
 
 母の底抜けに明るい声が聞こえます。
 
 『たっちゃん。愛してるよ』


Love yourself and your soul will guide you.





【自愛メソッド】については、下記の専用ブログをご参照いただけますようお願い申し上げます。
↓↓
※【自愛塾】『幸せを呼ぶ自愛メソッド』

http://luckyfortune.blog89.fc2.com/



ごめんなさい。
許してください。
ありがとうございます。
愛しています。

FC2Blog Ranking

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ


■Mixiコミュニティ『ホ・オポノポノ研究会』
http://c.mixi.jp/hooponopono

■メルマガ
http://www.mag2.com/m/0001422630.html

■ツイッタ―
https://twitter.com/tontonponopono

■Facebook
http://www.facebook.com/tontonponopono

■「豊かに成功するホ・オポノポノ」トップページに戻る■
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : ホ・オポノポノ - ジャンル : 心と身体

09:50  |  完全な人生を生きる自愛メソッド  |  CM(2)  |  EDIT  |  ↑Top

Comment

私も河合です

はじめまして、

上之保村 河合で調べたら
こちらに着きました

私の母が上之保村の出身なんです。

同じく、苗字は河合です

ご先祖様がお近くだったかもしれません

嬉しくなって書き込みお邪魔しました☆


ゆう | 2014年04月25日(金) 22:16 | URL | コメント編集

Re: 私も河合です

> はじめまして、
> 上之保村 河合で調べたら
> こちらに着きました

ありがとうございます。

> 私の母が上之保村の出身なんです。
> 同じく、苗字は河合です
> ご先祖様がお近くだったかもしれません

間違いなく、先祖は一緒ですよ。
これからもよろしくお願いいたします。
河合政実(とんとん) | 2014年04月30日(水) 16:49 | URL | コメント編集

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (現在非公開コメント投稿不可)

▲TOP

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。