ホ・オポノポノ ヒューレン博士 ジョー・ヴィターレ ハワイの秘法 船井幸雄 記憶を癒すアロマ 体験談「自由で完全な今がある」

2014'03.03 (Mon)

体験談「自由で完全な今がある」

Love yourself and your soul will guide you.


 7月に発売予定となっています、新刊の『完全な人生を生きる自愛メソッド(仮題)』には、それぞれの立場から『自分を愛するプロセス』を語る11人のストーリーが掲載されています。

そのなかのひとつをここに紹介させていただきます。


ブラックビュート
ブラックビュート


体験談1 「自由で完全な今がある」  
                                  中村 太郎



わたしは、福島第一原子力発電所から直線距離で50㎞地点にある、ゴミの焼却施設に勤務していた地方公務員でした。20年間転勤もなく 、毎日同じ仕事の繰り返しの毎日。朝起きて、朝食を食べ、弁当を持って山の中にある焼却施設に車で通う。唯一の楽しみは、30分の通勤の車の中で大音量で自分の好きな音楽を聴くことです。

 施設に到着しタイムカードを押し、「おはようございま~す!」と事務所の入口で毎日大きな声を張り上げますが、誰からも挨拶が返ってくることはありませんでした。皆、黙々とパソコン画面に向かい、朝から仕事を頑張っています。皆、自分の仕事が手一杯で人のことなどかまっていられる余裕がないほど追い詰められた職場なのです。

 何よりもわたしは仕事が嫌いでした。ゴミは臭いし、汚いし、地域からは迷惑施設と嫌われるし、悪臭の問題、ダイオキシンの問題、粉塵の問題、ガスの問題、汚水の問題などなど本当に周りは問題だらけ・・・。

 人生に希望を見いだせず、仕事にもやり甲斐を感じませんでした。日々のご飯を食べていく為に、家のローンを払う為に嫌な仕事をしていました。嫌で嫌で仕方がない職場でしたが、家族や知り合いからも、『公務員で安定しているから』と言われていたので、辞めるに辞められず、また自分自身もこの仕事を辞めたら何をやっていいのか、どうやって何をしてその後食べていっていいのかも想像することも出来ませんでした。

 上司や部下との関係も最悪でした。人の異動もほとんどなく、20年前に私が就職してから1人も新人を採用することなく、私は20年経ってもずっと下っ端でした。

 毎日、毎月、毎年代わり映えのない同じ仕事の繰り返しの飽きもありました。ゴミ搬入者との受付でのトラブルは毎日でした。受付で騒がれたり、大声で罵倒されることは日常茶飯事です。市長に言いつけてやるなどと暴言を吐かれたり、胸ぐらを捕まれたり、突き飛ばされたり、酷いときには警察を呼んで対処するほどでした。

 そして毎日続く夜遅くまでの残業。
 毎日毎日が辛くて、面白くなくて嫌で嫌で、ただ時間だけがゆっくりと過ぎて行きました。

 そして・・・、あの日が来たのです。
 2011年3月11日。午後2時46分18秒。

 ごごごごごごごごっ・・・・・・・・・・・・!

もの凄い下から突き上げるような、地響きが起こったかと思うと、建物全体が揺れ始めそして今まで経験したことがないような大きな大きな揺れに変わり、永遠に続くかのような長い長い地震が始まりました。地面が割れて、地球がパカッと2つに割れてしまうのではないかと思えるほどの揺れでした。

 事務所の電灯が消え、パソコンの画面が消え、携帯電話も使えなくなりました。自分の見えている範囲も大変なことになっていましたが、家族や知人の事も気になります。
 時間が経つにつれ、様々なものが復旧し始めましたが、地震被害だけでなく人類が飼い慣らすことが到底出来ない怪物を眠りから冷ましてしまったのです。
 そう、『 原発事故 』です。

 わたしは、1年半前に自宅を新築したばかり。自宅の庭に一面芝生を植え、刈り込んで手入れしていました。夏の朝などは裸足で芝生の上を歩き、自然を感じていました。
 その自宅も瓦は落ち、壁が壊れ、除染のために芝生はすべて剥がされたのです。

 震災の次の日から、施設にはもの凄い台数の車が来るようになりました。震災瓦礫だけでなく、8,000ベクレルを超える国の指定廃棄物になる除染ごみも大量に持ち込まれるようになりました。職員は累積線量計を常に携帯し、防毒マスクをしてタイベック(あの白装束のことです)を着て対応することになりました。
 その様々な処理問題は、3年以上経った今でも続いています。
 
 施設にゴミを持ってくる人々も、最悪でした。震災以前からも酷かったですが、さらに震災瓦礫や除染廃棄物、指定廃棄物まで加わり、毎日が、喧嘩でもうボロボロでした。
 
 仕事が嫌な上に、上司も同僚も嫌。仕事場も嫌い。持ち込んでくるお客も嫌い。
 私は疲れていました。本当に人生に疲れていました。どうにかして、この人生の現状を変える方法はないかと探していました。ホ・オポノポノを学んで、5年間徹底的にクリーニングをしていたのですが、なぜか状況に変化はありません。なぜ、これほどまでに人生が酷いのか。もう、行き場をなくしていたのです。
 
 その時、5年ほど前に河合政実先生のホ・オポノポノの講演会に行ったことを思い出したのです。早速、インターネットの検索エンジンで調べてみると、今は『自愛塾』というセミナーをされていることがわかり、私の心の中に何か響くものを感じ、早速5ヶ月間の『エグゼクティブセミナー』に申込みをいたしました。こうして、わたしは、毎月東京までセミナーに通うことになったのです。
 
 まず、河合先生に指摘されたことは「クリーニング中毒になっている」ということでした。そこで思い切って、『クリーニングをしなければならないという自分の中の記憶』を手放しました。すると、『え!こんなに簡単でいいの?!』と思うほど、とてもシンプルに人生がどんどん変化していきました。
 
 まず大きな変化は、朝、職場のみんなが「おはようございます。」をわたしに返してくれるようになったことです。
 あれほど酷かった受付でのトラブルもまったくなくなってしまい、毎日100通ほど来ていた苦情メールも1件も来なくなり、苦情の電話も全くなくなってしまいました。受付にはゴミを搬入するお客が菓子折を持ってお礼を言いに来たり、お礼の手紙や施設職員へのお褒めの言葉が市長宛てに届くようになったりして、市長から直々に施設職員に対してお褒めの言葉を頂いたほどです。

 そのころ、内なる自分から『今年限りで今の仕事を辞めて、本当に自分がやりたいことをやったら!』というメッセージがありました。ふと思い立ち、『退職願』を書き、判子を押してベッドの下に置いてよくクリーニングしてから寝ました。
 朝起きたら、今まで心で漠然と思っていた『退職』という二文字が心の底の底まで、グッと迫ってきました。

 そして、次の日仕事に出かけたのです。
 お盆の連休でゴミの収集が休みだったため、前週の分もあってかゴミが多く、収集に時間がかかり、夜遅くなってゴミの収集車の受入れが終わり、私一人になって施設の戸締りをしにいきました。
 ゆっくり歩きながら、戸締りを始めます。
 すると突然、私の心の底から感謝の気持ちがわき上がってきました。
 『そういえば・・・、もう20年経つんだなぁ。早いな~・・・。この施設と共に人生を歩んできたんだなぁ~・・・。』

 今まで忘れていた思い出が、一気によみがえってきました。そしてそれに関わった人々の顔が一気に思い出されました。
 病気でもう亡くなってしまった上司で、私の事を仕事のことで陥れた上司で、死んでも絶対に許したくない人の顔も、まったく仕事をせずにいつも人目に隠れて昼寝をして高給を貰っていたふざけた上司の顔も、怒鳴り散らして私に土下座をさせたお客の顔も、ものすごく施設が忙しい時に、なお一層大変な仕事を私に指示し、自分はさっさと帰ってしまった上司の顔も、東日本大震災の次の日、部下の私たちには仕事に出勤させ、自分はしっかり休みを3日も取って自分の家の片付けをしていた上司の顔も一気に蘇って・・・、私の横をものすごいスピードで駆け抜け、私の後ろ側に去って行きました。

 『そうか。そうだったんだ!みんな、私が創っていたんだ。みんな、みんな、私のこのつらい人生のドラマは、私が、私自身が脚本を書いていたんだ・・・。』『私は、ずっとずーっと自分が被害者だと思っていた。でも、本当は自分が監督だったんだ。』
 そして、山の中の誰もいない施設の真ん中で、ドラマのワンシーンのように、喉がかれるほどものすごい大声で叫んでいました。今まで泣いたこともなかった男が、少年のように顔をくしゃくしゃにしながら、泣きながらわめいていました。
 「みんな、本当に今までありがとう~!本当に、本当に、みんな愛してるよ~」
 「今まで最悪だと思っていた人達は、今私がこのステージに立つために、嫌な役を買って出てくれたんだね。あのつらいドラマがあったから、今のオレがいるんだ~!」
 「あのドラマがあったからこそ、最高のエンディングが迎えられるんだ~!」
 「本当にありがとうございます。みんな!愛しているよ!」
 20年間も続いた、壮大なドラマの撮影がクランクアップを迎えたとき、オールキャストが一同に集まって、それまで付けていた般若の様な鬼の面を外して、満面の笑みで監督である私の顔を見ている気がしました。

 それからというものの、毎日の暮らしの中で「怒り」が全くなくなってしまったのです。

 セミナーの卒業が近くになってから、河合先生たちと一緒に人生初の海外旅行に出かける機会に恵まれました。行先は、カルフォルニア州シャスタシティー。

 そこに、ブラックビュートという標高1,931mの黒い大きな岩山の霊山があります。
 とても急な岩山で、岩の一つ一つが2メートル位ある大きなものです。地球というよりどこかの惑星の様な独特の風景はまさにSF映画の撮影に使えそうなほどです。
 半日掛けてやっと頂上に到着し、カルフォルニアのどこまでも続く広大な360度の大パノラマを見たとき、私は思わず叫んでいました。
 『俺はこれから最高の人生を生きていくぞ~~!』っと。全身が打ち震えました。
 下山は、岩の上を飛び跳ねて帰ってきました。一歩間違えれば谷底に落ちてしまう危険がありましたが、道なき道を行くスノーボーダーのように、行くべき道が見え、目の前に現れた岩の上に足を乗せるだけで、次に行くべき道が見え、また次に目の前に現れた岩の上に飛び移るという感じで、もの凄いスピードで下山することが出来たのです。まさに、人生の道筋が見えた気がしました。

 ツアーの帰り、レディング空港から小型プロペラ機に搭乗しました。東の空が薄明かりに染まり朝日が昇る頃、自分の乗っている飛行機が夜明けの美しい大空に向かって勢いよく滑走路を走り出したとき、美しく輝くダイナミックで最高の人生のスタートが今始まると心から確信しました。涙が頬を伝って膝に落ちました。

 日本に帰国し、家に帰ってすぐ、両親に今の仕事を退職することを伝えました。それまで、父には絶対言えないと思っていたのですが、奇跡が起きました。
 父は、『おまえの人生だ!自由に生きたらいい!』と心から納得して笑顔で言ってくれました。なんと、あの頑固者の父が分かってくれたのです。
 次の日、職場に退職願を提出しました。あまりの唐突さに、上司は開いた口がふさがらない様子でした。

 それからというもの、本当に人生はこんなにも軽いものなのか、人生はこんなにも毎日ウキウキ、ワクワクして生活できるものなのかということを、心から感じています。

 それまで、私は友人が一人もいませんでした。週末は家の中に閉じこもっていました。
 しかし、今、私には100人以上の素晴らしい友人が出来、日本全国だけでなく、海外にまで友人を持つことが出来るようになったのです。

 わたし自身、自分を好きになって自分を愛してあげることで、こんなにも素敵な人生を5ヶ月後に送っているとは、まったく想像すらしませんでした。本当に、感謝の毎日です。

 この世界は、まさにTVと同じで様々な番組の電波が飛び交っています。自分自身がどこにチャンネルを合わせるかなのです。辛い番組を楽しんでいる人もいる。楽しくて仕方がない番組を楽しんでいる人もいる。それは、全部自分で決められるし、全部思い通りなのだということです。
 人も動物も植物も世界も宇宙も全部初めから完璧に出来ていて、自分がかけているメガネを通して見ると様々に見えてくるということなのです。だから、世界は初めから完璧なのでどこにも問題など存在しないのです。自分が今かけているメガネをはずせば、本当に完全な世界が見えるのだということも分かりました。

 最近のわたしの口癖は『最高の人生を~~!』です。まさに、今この時を最高に輝いて生きていきたいのです。これから私は、自分が本当にやりたいことをやれる、毎日を情熱的に生きられる本当の自由自在な人生を創造していきます。本当に感謝です。ありがとうございます。

 自分自身を愛しています。そして、あなたを愛しています。






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許してください。
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18:43  |  完全な人生を生きる自愛メソッド  |  CM(2)  |  EDIT  |  ↑Top

Comment

河合様

日々、河合様のツイッターやフェイスブックを拝見しております。数年前から始まったホ・オポノポノから自愛メソッドの実践により自分が被害者であることが分かりクリーニングしたいのですが、これは「自分が被害者である」と感じる時、「ありがとう」といえばよいのですか。

河合様のセミナーでは両親の記憶を徹底的にクリーニングし、且つ、人生脚本を書き換えるそうですが、両親についての良い記憶も悪い記憶も心に浮上した時、「愛しているよ」といえばよいのですか。両親の記憶をクリーニングすると人と比較したり、人から評価を求めなくなるのはどうしてでしょうか。御著書の体験談を拝見していると「ひどい人だと思っていた親が善人であった」と記されていますが、これは、セミナーでこのように感じることができるように構成されているのでしょうか。

最近、河合様は「クリーニングの世界」から「クリーニングをしない世界」へと提唱していらっしゃいますが、被害者意識も、今抱えている問題も、今後に対する不安も手放し、「自分は完璧である」と信じればよいのですか。つまり、現状がどうであろうと「今の私の現状は100%完璧」であると言う意味ですか。

「小さな親切大きなお世話」かもしれませんが、7月発売される新著の体験談の1つである中村太郎さんの記に「毎月東京まで上京するようになった」と記されていますが、これは日本語として間違っています。「上京するようになった」が正解です。「東京まで上京することになった」は「腹痛が痛い」と同じです。
モグラ | 2014年03月04日(火) 09:57 | URL | コメント編集

Re: タイトルなし

> 自分が被害者であることが分かりクリーニングしたいのですが、これは「自分が被害者である」と感じる時、「ありがとう」といえばよいのですか。

その感情(怒り・悲しみ・無力感など)をしっかりと味わってから、「愛しているよ」と自分に言ってください。

> 河合様のセミナーでは両親の記憶を徹底的にクリーニングし、且つ、人生脚本を書き換えるそうですが、両親についての良い記憶も悪い記憶も心に浮上した時、「愛しているよ」といえばよいのですか。

その感情(怒り・悲しみ・無力感など)をしっかりと味わってから、「愛しているよ」と自分に言ってください。

>御著書の体験談を拝見していると「ひどい人だと思っていた親が善人であった」と記されていますが、これは、セミナーでこのように感じることができるように構成されているのでしょうか。

はい。そうです。

>被害者意識も、今抱えている問題も、今後に対する不安も手放し、「自分は完璧である」と信じればよいのですか。つまり、現状がどうであろうと「今の私の現状は100%完璧」であると言う意味ですか。

信じるというよりも腑に落ちるようになります。

> 中村太郎さんの記に「毎月東京まで上京するようになった」と記されていますが、これは日本語として間違っています。

修正いたします。ご指摘ありがとうございます。
河合政実(とんとん) | 2014年03月18日(火) 02:00 | URL | コメント編集

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