2010'04.13 (Tue)
不思議が続いた白神社・厳島神社参拝
2日3日の広島滞在の間、広島では白神社と厳島神社の参拝をさせていただきました。
今回の講演会の会場は、前回同様に爆心地から500メートル以内の「広島市まちづくり市民交流プラザ」でした。
この事実は、前回1月17日の広島講演会が終わってから気づいたことなのですが、今回も敢えて会場を変えないで、みんなでクリーニングに再挑戦することにしたのです。
講演会前日の10日の夜に内輪の食事会(瀬戸内海のカワハギやヒラメの活き造りが美味しかった!)があったのですが、終わってコーヒーを飲みましょうと喫茶店をいくら探してもどこも満員で、空いているところにつくまでに20~30分かかってしまいました。しかし、そこは最初の場所からかなり離れたところだったのです。
そして、コーヒーショップを出て、ホテルへ向かって歩いていると、ある建物の前を通りました。
全員がそこで足が止まりました。ふと頭上のビルを見上げるとそこは「広島市まちづくり市民交流プラザ」(建物の半分が袋町小学校)だったのです。
※袋町小学校
昭和20年8月6日に被爆。原爆の凄まじい爆風と高熱により、外郭のみを残し廃墟となりました。しかし、数日後には、被爆者の避難場所・救護所となるとともに、本校児童・教職員の安否や地域の住民等の安否を尋ねる場となりました。燃える物はすべて焼失し、残っているのは、真っ黒に煤けたコンクリートの壁と床に散らばるわずかなチョークでした。人々はこのチョークで煤けた壁に「伝言」を記すしかなかったのです。どんな気持ちで伝言を記されたのでしょうか。
私たちは、しばし立ち止り、無言でクリーニングをさせていただきました。
このような偶然があるのでしょうか。

さて、翌朝、講演会場のすぐ近くにあり、爆心地から490メートルのところにある白神社へ参拝いたしました。
8月6日の朝は戦勝祈願の参拝者がひっきりなしに続き、午前七時過ぎの警報発令時には社前の防空壕に入りきれないほどの人だったそうです。社司の野上勝彦氏は台所で食事中に被爆し亡くなられ、野上家は長男を除く家族全員が社務所で即死だったそうです。境内にした参拝者の方々もすべて即死だったとのことです。
広島講演会のコーディネーターの一也君は車椅子なので、みんなで四隅をかついて階段を登って行きました。私は、その時にたんかで運ばれる重症の被ばく者の苦しみと無念さを感じ取りました。
参拝をして目を閉じると、そこには赤い炎が見えました。勢いよく燃えているのではなく、消えかかったような炭のような感じです。
しかし、これもすべて私の潜在意識の情報(過去の記憶)のなせる業です。
広島が悪いわけではありません。アメリカのせいでもありません。日本の国を戦争に導いた当時の指導者が悪いわけでもなく、ましてや被ばくされた方のせいでもありません。
すべてわたしの過去の記憶が原因なのです。
わたしたち一人一人が100%の自己の責任の下、きちんとクリーニングをすれば、広島が恐ろしい被ばくを受けたという記憶の言わば“呪詛”は解かれるのです。
そして、午後から広島での講演会。
講演が終わり、神田真理亜さんと一緒にホ・オポノポノ・ソングをみんなで歌い、そしてサイン会になっても、ずっと泣いていらっしやる方がいたのが印象的でした。

翌日、厳島神社へ参拝いたしました。
ここは、平清盛が現在の本殿を建立し、平家の守護神として厚く信仰した神社であり、安芸の国の一宮でもあります。
河合家は平家でありますので、懐かしく感じながらの参拝となりました。

ところが、本殿での参拝を終えてもどこかすっきりしません。
おみくじを引いてみるとなんと「平」。
「平」とは「凶」のことです。(「凶」の替わりに「平」を入れる神社がいくつかあります)
何がいけなかったのだろうか、気持が足りなかったのだろうか、言い方が悪かったのだろうかと悩み、もう一度本殿で参拝をしようと思い、背中に背負っていたリュックサックを床に置きました。
するとスローモーションを見るかのように、リュックの下から水が広がり出しました。
海水が上がって来たのかと一瞬思いましたが、その瞬間にもやもやしていた気持ちが晴れて爽快な気分になったのです。
「そうだ」と思い、慌ててリュックを開けてみると、中に入れてあったブルー・ボトルの蓋がはずれて、なかのブルー・ソーラー・ウォーターが全部こぼれていたのでした。
私は、ニコニコしながらもう一度祝詞を奏上させていただきました。
大変恐れ多いことですが、厳島神社の神様は、私のブルー・ソーラー・ウォーターを喜ばれていたようです。
世界遺産である厳島神社は、観光客で溢れかえっています。
本殿のなかに身を乗り出して写真を撮る人、お賽銭を投げ込む人、べちゃべちゃしゃべりながら参拝する人、さすがの神様も少しお疲れのようですね・・・。
さて、参拝が終わったところで、お昼です。

老舗の穴子丼専門店「ふじたや」で穴子丼を食べ、食後のデザートとして、宮島では珍しくオイスター・パー風のようにおしゃれな「牡蠣屋」で焼き牡蠣を4個いただきました。

いやあ、どちらもとても美味しかったです。
帰りにもみじ饅頭を買ったのですが、よくよく考えてみたら、これってクリーニング・ツールですね(笑)。ついでに言うと、もみじ饅頭の老舗「やまだ屋」の中村社長は私の友人です。

I'm sorry. Please forgive me. Thank you. I love you.
ごめんなさい。
許してください。
ありがとうございます。
愛しています。

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> 神社を参拝させていただくとき、よく突風が吹いて、びしょぬれになります^^
> 歓迎されているのか、浄化されているのか!?
歓迎だと思います。
私もよくあります。
> もみじ饅頭、クリーニングツールだったのですね(笑)
はい。たぶん(笑)
そして今回のビジネスクラス(東京)にも参加してきました!
博士の説明、体験者さん達のお話、とっても感激・衝撃でした。
「広島にきてください・・・」とずっと博士に心の中で話しかけていました。(英語で)伝わったかな。(英語が下手で伝わらなかったかなw)
毎日クリーニングを続けます。
ありがとうございます。
ありがとうございます!
> そして今回のビジネスクラス(東京)にも参加してきました!
> 博士の説明、体験者さん達のお話、とっても感激・衝撃でした。
おめでとうございます。
私もご一緒できてよかったです。
> 「広島にきてください・・・」とずっと博士に心の中で話しかけていました。(英語で)伝わったかな。(英語が下手で伝わらなかったかなw)
博士は、言語は関係なく、考えていることは伝わります。
広島へは、個人的に訪問されているようですね・・・
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神社を参拝させていただくとき、よく突風が吹いて、びしょぬれになります^^
歓迎されているのか、浄化されているのか!?
でもそのあと、美しいダブル・レインボーを見ました☆
もみじ饅頭、クリーニングツールだったのですね(笑)
私はちょうど、厳島神社を訪れたあとくらいから、
本格的に、ホ・オポノポノをさせていただいています。
ありがとうございます。