ホ・オポノポノ ヒューレン博士 ジョー・ヴィターレ ハワイの秘法 船井幸雄 豊かに成功するホ・オポノポノ 2014年04月
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2014'04.30 (Wed)

体験談「ありがとう。あいしているよ」

Love yourself and your soul will guide you.


 7月25日に角川フォレスタより発売予定となっています、新刊の『完全なる自愛メソッド』には、それぞれの立場から『自分を愛するプロセス』を語る11人のストーリーが掲載されています。

そのなかのひとつをここに紹介させていただきます。


中本成美野外教室


体験談8 「ありがとう。あいしているよ」
                             Narumi Candle



 わたしはキャンドルアーティストです。
 今から8年前はまったく異なる仕事をしていました。

 わたしが大きく転職をすることになったきっかけは、とっても溺愛していた愛犬を事故で亡くしてしまったことでした。実家の母が贈ってくれた、とってもかわいフレンチブルドックでした。
 あまりのショックで落ち込み、仕事ができなくなってしまいました。

 その日一日を生きているのも辛く、とにかく自分を癒そうと、リフレクソロジーやアロマセラピーのスクールに通い、キャンドル教室でキャンドルづくりを学びました。

 悲しくなったら自分の作ったキャンドルを灯して、愛犬との思い出に浸って心を癒していきました。時とともに少しずつ元気を取り戻し、「わたしが本当に辛かったときに癒されたように、周りを癒したい」と思うようになりました。
 そして、キャンドル教室の先生の勧めもあって、都内でキャンドルアーティストとして活動するようになり、今まで学んだアロマを伝えたりして、癒しの仕事を始めるようになりました。また希望を持つことが出来たことが、とても嬉しかったことを今日のことのように想い出されます。

 愛犬が亡くなる前からキャンドルが好きで、いろんな国に行ってはキャンドルを買って、灯していたのですが、キャンドルを灯していていつも気になることがありました。
 炎の先からススが出ることです。部屋の壁も黒くなるし、喉もイガイガしてきて、癒されないものもありました。わたしの作るキャンドルはススが出にくく、体に害のない原料を使って、心から癒されるキャンドルにしたいと、実験、研究を重ねていくうちに、素晴らしい原料に出会いました。

 それが「日本精蝋」という日本で唯一のロウ専門工場で作られるロウでした。しかも、その工場はわたしの地元の山口県の周南市(旧徳山市)の給島にあったのです。
 わたしは、大変驚くとともに、不思議なご縁を感じました。
 その美しい島で生産されているロウは、土に埋めれば微生物によって分解され、土に還るので、地球に優しく、世界的にも環境に優しいと高く評価されているロウでした。素材としての安全・安心度では、食品に近いグレードのもので、チューイングガムのなかにも10%ほど入っていたり、女性が使う口紅やクレンジングクリームにも入っていたりしているものなのです。
 こうして、本当に素晴らしい原料を使用したキャンドルを作ることが出来るようになりました。感謝の気持ちでいっぱいでした。

 ところが、今度は別の問題が起きました。
 仕事で大量にアロマを使用するようになってから、たまに頭痛がするようになりました。それはどんどん酷くなり、吐き気やめまいまでするようになり、ついには倒れてしまうまでになりました。その後さらに症状が酷くなり、アロマの匂いを少し嗅いだだけで、立っていられなくなってしまい、わたし自身がアロマを使用できなくなってしまったのです。
 アロマオイルを使用し始めてから5年目のことでした。

 これはもう仕事の方向性も見直さなきゃ・・・。それとも転職をしなくちゃいけないのかな・・・とも思いました。アロマオイルを仕事で長期間に渡り吸引してきたため、いつしか頭痛・吐き気・めまいがするようになってしまったのです。
 そして、わたし自身がまったくアロマに癒されないのです。悲しいけど、正直アロマオイルはもう取り扱えないと想い悩んでいたときでした。ときを同じくして、わたしは恋愛の方でも行き詰って悩んでいました。もう何もかも上手くいっていない状況で、完全に沈み込んでいました。

 そのとき、たまたまインターネットでオススメされている河合政実さんの著書「とんとんのホ・オポノポノ実践記」の紹介文が目に止まり、とても気になったので、本を取り寄せ読んでみると、驚くべきことがたくさん書いてありました。目からウロコがポロポロと落ちました。

 「とんとんさんに会って是非お話を聞きたい」と思っていたところ、偶然にも数日後に隣の県の福山市に来られることがわかりました。すぐに予約をして、とんとんさんに会いに行きました。

 とんとんさんは、大きな熊の縫いぐるみのような、可愛らしいシルエットをした人でした。ほんわかしていて暖かく、ふわふわとした綿菓子のような雰囲気のある方でした。

 その日は、仕事の話はせずに恋愛の相談をしに行ったのです。そのときは、とんとんさんに「お父さんのクリーニングをしてください」と言われました。そして「明日の1DAYセミナーにおいでよ」と言われたので、その日福山に宿泊することにしました。そしてその夜たまたまホテルのロビーでとんとんさんにばったり会って(すごい偶然です)、一緒にお話する時間をもつことができました。

 とんとんさんは、わたしがキャンドルアーティストの仕事をしていて、辞めるかどうか悩んでいるという話をすると、「知ってる?すごいアロマがあるよ」とおっしゃいました。それは、わたしが今まで知っているアロマオイルではなく、吸引・塗布・摂取ができるというアロマオイルでした。
 日本で通常販売されているアロマオイルは2%ほどに希釈しなければならないものなので、最初はにわかに信じることが出来ませんでした。

 ところがレモンのオイルの蓋を空けて、鼻に飛び込んできた香りは、今まで嗅いだことのない香りでした。直感的にこのオイルは安全で安心だと思い、その瞬間、仕事の悩みが解決したのです。
 数日前まで、出来るだけ嗅がないように、マスクをして手袋をはめて、アロマと関わっていたわたしがうそのようです。今では逆に、マスクのなかにアロマオイルを垂らして、心身ともに癒しを楽しんでいます。理想とは違い、あんなに苦しくて辛かったアロマ生活が、今では本来求めていたアロマ生活を送ることができていて、とても幸せを感じています。

 癒しのために始めたアロマのはずが、いつしか使えば使うほど体調を壊していき、本当に辛く悲しかったです。「癒し」という分野の仕事を選んだことで、気づけば「人を癒さなくては・・・」と義務感と責任感を感じ、みんなを癒すためにと、手袋をはめ、マスクをして仕事をしてきました。

 でも今はこんな幸せな職場はないと思うくらい素敵な香りに囲まれて仕事が出来て嬉しいです。
 とんとんさんに悩みを解決していただいたおかげで、再び仕事を続けていけることになりました。

 一方、恋愛の悩みは解決することが出来ず、6回コースの『エグゼクティブセミナー』を福岡で受けることに決めました。
 2回目の『エグゼクティブセミナー』を受けた後、父のクリーニングをしたら、なんだか心がすっとしました。
 そしてわたしは何年ぶりに父に電話をかけて、お墓参りへ誘いました。
 父との会話は思いのほか楽しくて良い時間が過ごせました。
 後日、こんどは母と父とわたしとで親子三人で食事をすることになりました。親子で会うのは何十年ぶりの再会でした。

 そのころ、ふとアロマキャンドルのお店を出したいと思っていたら、素敵な物件が見つかり、 とんとん拍子にすべて決まって、あっという間にお店(Narumi Candle Shop)を出すことができました。


中本成美キャンドルショップ


 すると地元のテレビや新聞など、マスコミからの取材をたくさん受けるようになり、多くの方にわたしのお店を知っていただくことになりました。来店客も自然に増え、「アロマキャンドルの作り方を教えて欲しい」という依頼をたくさん受け、アロマキャンドル作りの教室を開くと、たくさんの方に来ていただけるようになりました。

 『エグゼクティブセミナー』卒業後、しばらくして『トレーナー養成コース』を受け、さらに父に関しての記憶をクリーニングしていきました。

 『トレーナーコース』では最後に「卒業論文」というのがあるのですが、なぜだかわかりませんが、父に関して書くことが怖くて苦痛でしょうがなかったのです。
 でも、書き始めてみると父に関して、いろいろな驚く想いが浮上してきました。あれだけ大嫌いだった父に対して今はこれまでとはまったく違う感情があります。不思議と父を思い出しても嫌だとは思わなくなったのです。そして驚くことにわたしのなかで父は愛すべき存在に変わっていったのです。
 クリーニングしていくにつれてわかったのは、父は、ずっとわたしを愛していてくれていたということです。わたしも父のことが大好きでした。
 そして母までもわたしをちゃんと愛していてくれたことがわかりました。
 すべてが愛で出来ていることにも気づくことができたのです。

 とても不思議でした。
 周りで起こるすべての出来事がとても嬉しく、自分へのギフトに思えてくるようにもなりました。
 今、現在のわたしは、とても幸せです。わたしの人生に登場してくれているすべてはみんな完璧なのだろうって思えています。

 そんなふうに思えるようになった先月のこと、とても嬉しいニュースが飛び込んで来ました。
 なんとアロマキャンドル『Narumi Candle』が“周南ものづくりブランド”に認定されたのです。


中本成美周南ブランド受賞


 東日本大震災後、山口に戻って3年、『Narumi Candle Shop』を始めてもうすぐ2年になります。 お店の大家さんもとっても素敵な人でいつも仲良しです。看板犬もいます。


中本成美ラムネ


 現在は素晴らしいロウを原料にしたアロマキャンドルに、自分自身がいちばん癒されています。
 実は前の仕事は辞めたかったけれど辞めるきっかけがなくてずるずると先延ばしにしていました。
 わたしの愛犬がいまの仕事に導いてくれたのだと感謝しています。
 
 とんとんさん本当にどうもありがとうございました。
 そしてわたしの愛犬フクスケありがとう。
 そして看板犬ラムネありがとう。

あいしてるよ。


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2014'04.01 (Tue)

体験談「母からの贈りもの」

Love yourself and your soul will guide you.


 7月25日に角川フォレスタより発売予定となっています、新刊の『完全なる自愛メソッド』には、それぞれの立場から『自分を愛するプロセス』を語る11人のストーリーが掲載されています。

そのなかのひとつをここに紹介させていただきます。


鈴木達子母
お母さん


体験談3 「母からの贈りもの」              鈴木 達子


 わたしは、警察官だった父、社交的な母、3つ年上の姉という家族の次女として生まれました。
 母は、女性が早く結婚するのが幸せと言われた時代に、お菓子やパンで有名な「新宿中村屋」に13年間勤め、中村屋の初代女性主任という役職に就いた伝説の女性です。
 「中村屋」名物の月併の売上を数倍に伸ばしたことは母の自慢のひとつで、誇らしげに当時の様子を語る母の姿は、今もわたしの脳裏に焼き付いています。
 社交上手でよく喋り、バイタリティーの塊。民生委員、子供会会長、PTA役員と地域の世話役。人から相談を受けることもしばしば・・・。『結婚しなければ一生バリバリ仕事をしていたかった』『婦人警官になりたかった』というのが母の口癖でした。
 正義感が強く、『お母さんにこう言われた』と近所の人から言われたり、『お母さんは出すぎだ!』と学校の先生から注意されたり、こどもながら心を痛めたことも一度や二度ではありません。
 
 父は、わたしが中学1年のときに心筋梗塞で倒れ、その後10年もの間、入退院を繰り返すという長い闘病生活の末、亡くなりました。
 ですから家計をずっと支えていたのは母でした。
 それだけではありません。みなさんは高額医療請求というものをご存じでしょうか。
 高額な医療費を支払ったときに、払い戻しが受けられる国の健康保険の制度のことです。
 母は、高度医療請求による払い戻し制度を知らなかったのか、父の数回にわたる心筋梗塞のバイパス手術やICU(集中治療室)の入院費用など、数百万円の医療費を全額自己負担で支払っていたのです。
 
 わたしが中学にあがるまでは何ひとつ不自由なく、暮らしていた毎日・・・。
 それが、父が心筋梗塞で倒れてからは、生活が一変してしまったのです。
 
 母は、お金が一番かかる時期のわたしと姉を食べさせていくために、昼夜問わず必死の思いで働き、結局のところ、73歳まで現役で働き続けたのです。
 わたしは、家計が火の車になっていたことをずっと知りませんでした。
 
 18才のときにその事実を知り、『うちはとてつもなく貧乏だ』と初めて気づいたのです。
 父が生命保険に入っていなかったこと、団体信用生命保険(住宅ローンの返済途中で死亡した場合に生命保険でローンの残債を肩代わりする保険)に入っておらず、家のローンが残ってしまったこと、高額医療請求をしていなかったこと、母がネットワークビジネスに携わり、知人や親戚にお金を借りていること・・・、すべてはお金を管理している母の責任だと思い、母を罵り、母を責め立てました。
 『今月もお金が足りない』と嘆く母の姿を見て、なぜ生命保険に入っていなかったのか?なぜ団信生命に入っていなかったのか?なぜ身内にお金を借りてしまったのか?もっと他に方法があったのではないか・・・と母を責めたのです。
 母は母で、情緒不安定で感情を爆発させるわたしに対して、『わたしの若い頃と全然違う』『わたしの娘なのにどうして?』『なぜ仕事が長続きしないの?』とわたしを責めます。
 
 こうして仲の良かった家族はバラバラになり、喧嘩が耐えない家族になってしまいました。
 わたしはお金のことで母を責め、母は弱いわたしにプレッシャーをかける・・・。母との関係は最悪でした。ついには、わたしは母に強い憎しみを抱くようになってしまったのです。
 
 一方借金は、年々膨れ上がり、遂に母はサラ金からもお金を借りるようになってしまいました。
 度重なる借金取り立ての電話、それがエスカレートし、わたしの勤務先まで電話がかかってくるようになりました。  『今から会社に行くぞ!』と脅しの電話・・・。電気・ガス・水道が停まるのは当たり前・・・。
 毎日が不安だったわたしは、とうとう自律神経失調症になってしまいます。
 
 23歳のときに父が亡くなったのがわたしの転機となりました。
 そのとき始めて『母と歪みあっていてはいけない』『わたしが母を助けなければいけない』と心に強く誓い、きちんと就職をすることにしたのです。
 それは母をずっと責め立てて来たことへの償いの気持ちだったのかもしれません。
 
 それからというもの、ひたすら毎日毎日働きました。
 ホテルでのフロント業務、工場でのライン作業、夜間の医療事務、広告代理店の営業、わたしが最も不向きなお酒をつぐコンパニオン・・・。仕事を選ばず時給が良ければどんな仕事でもやりました。
 朝は9時から夕方18時半、夜勤は22時から朝8時までと、昼夜のダブルワークは10数年続き、月のお休みは3日しか取りません。アルバイトですが年収が400万円を越えたことが何度もありました。とにかくひたすらひたすら働き続けたのです。
 でも、どんなに働いても働いても、お金は借金の支払いと生活費に消えてしまいます。
 友人とも会えず、自分の欲しい物も買えず、美容室にも行けない、ときには交番にお金を借りるような、惨めな10数年を過ごしました。
 
 そんな惨めな生活のなか、29歳のとき、わたしに一筋の光が差したのです。
 『マッサージ』という天職に出会ったのです。
 
 『人から喜ばれ感謝をされるお仕事』
 
 今まで感じたことのない、やりがいを感じ、わたしはいつの日か独立開業を夢見るようになったのです。
 借金はまだたくさんありましたが、『希望』を持ち、昼間はマッサージ、夜はコンビニエンスストア、お休みの日は専門学校と、勉強と仕事に貪欲に励みました。
 
 2010年、そんなわたしに、人生のなかで最もショックな出来事が起きるのです。
 
 母に乳癌が見つかったのです。
 癌は既にステージ3の状況でした。そして、2012年の2月には脳に転移していることがわかり、余命1年の宣告を受けたのです。
 
 仕事と介護で心身とも疲れ果て、ボロボロの状態のなかで、奇跡的にfacebookで繋がり、出会ったのが河合先生でした。
 河合先生の『愛』のある一言をきっかけにわたしの人生が大きく変わったのです。
 それは『もう頑張らなくていいんだよ』という一言でした。
 張り詰めていた心の糸がプチっと切れ、わたしは優しく大きく包み込んでくださる河合先生の前で、たくさんたくさん涙を流しました。
 『たっちゃんはもう自分の人生を歩いていいんだよ』
 わたしは河合先生の『愛』に救われたのでした。
 
 それから約5ヶ月間、わたしは母のそばを1日も離れずに、介護、看病を続け、6月21日母を見送ったのです。74歳でした。
 わたしは母が亡くなる少し前の4月から『エグゼクティブセミナー』に通い、たくさんの気づきを得て、心がどんどん軽くなっていくのを感じました。そうでなかったら、母との別れがどれほど辛かったことでしょうか。
 
 母がわたしたち姉妹のために一生懸命働いてくれたこと、修学旅行以外は母と離れたことがなかったこと、誰よりも母を助けてあげたいと思っていたことを想い出したのです。
 そして、どんなに憎まれ口を言われても母のことが大好きだったこと、母はわたしのすべてだったことを・・・。
 
 亡くなってわかったことがありました。
 母は、愛する娘たちのために、どんなに生活が苦しくても、毎月3万円の生命保険の支払いを続けてくれていたのです。
 わたしは、母の遺産を元に、残りの200万円の借金を全額返済し、約15年に渡る借金返済生活にピリオドを打ちました。
 それは母が最後にくれた娘たちへの大きな贈り物でした。
 
 その後わたしは、『トレーナー養成セミナー』へと進み、「自分の人生はすべて自分が創造している」ことがわかりました。
 そしてわたしは、わたしのための新しい人生を創造し始め、15年間の穴を埋めるように『自分の好きなこと』だけを毎日やることにしたのです。
 それはエグゼクティブセミナーの教えでもある『楽しみなさい』『自分を大事にしなさい』ということに繋がり、わたしの心の状態が面白いように変化を遂げていったのでした。
 
 15年間ほぼ休むことなく続けてきた仕事を1週間休み、世界遺産を姉と観に行きました。週1回エステに通い、週末には料理教室に行きました。映画『プリティウーマン』のように好きな洋服を片っぱしから試着をして、好きなだけ洋服を買いました。10年近く会えなかった友達とランチバイキングに行きました。
 すべててわたしがやりたかったことです。
 
 こうしてわたしの心は本当に蘇りました。
 河合先生が言う『自分が本当に好きなことをやること』それが『幸せ』へと繋がる鍵だったのです。
 そして、一番実現したいと思っていたわたしの夢、アロママッサージサロン『ピュアボディー』をささやかですがオープンするに至りました。

 母から貰ったギフト、それはわたしに稼ぐという力です。
 母からの贈り物、それは一人になっても困らない生きる力と知恵です。

 お金の大切さが解るように。
 人の心の痛みがわかる人になるように。
 優しくて強い人間になれるように。
 出会ったすべての人を愛で包み込めるわたしになれるように。
 
 河合先生を始め、自愛塾の素敵な仲間たちはわたしの生涯の宝物です。本当に皆さんに感謝しています。
 わたしは今この瞬間に生き、わたしの望んだ通りの『完全で愛のある世界』で、輝かしい人生を歩んでいます。
 
 毎日通る駅から家までの帰り道。
 今日も青空を見上げると、母の明るい笑顔が浮かびます。
 
 『お母さん愛してるよ』
 
 母の底抜けに明るい声が聞こえます。
 
 『たっちゃん。愛してるよ』


Love yourself and your soul will guide you.





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